映画 シチリア!シチリア!
2011年 04月 23日
クライマックスで、思わず拍手をしてしまいました、音をたてないように。
素晴らしいんですよ! 現実とファンタジーの融合というか、世界観が。
物語は50年におよぶ、三世代にわたっての、貧しかったり、悲しかったり、
ときめいたり、希望をもったり、楽しかったり、いらだったり、といった、
誰の人生にもおこる、さまざまな出来事といえるわけなんですけれど。
冒頭、コマ遊びに興じている男の子が、煙草を買ってこいと命じられて、
遊びのじゃまをされるところから、物語は始まるのだけれど、砂ぼこり舞う
なかを駆けてくる男の子の躍動感、流れるエンニオ・モリコーネさまの音楽、
まだ何も出来事は起きていないのに、わくわくしてしまって。
そして、次の場面、でてくるのは、さっきの男の子とはべつの男の子。
おなじように、ものすごい勢いで走っていて、どうやら、この男の子が、
物語の中心人物のような気配。ではさっきの、コマ遊びの男の子は、誰?
それが、監督の思うつぼ。映画を観ているうちに、時空を超えてしまう。
ひとつひとつのエピソードをつなぐ説明は、あまり丁寧にされません。
けっこう強引な時間の流れ方があったりして、あっというまに何十年か
過ぎてしまうのだけれど、それが、納得できるしゃれた映像のつなぎ方で。
ファシズムに支配された戦時、終戦後の政治的な対立、貧しい時代から
豊かな時代、あるいは抑圧された時代から自由な時代への変遷。
それが、ある視点から見れば、瞬時に起こってしまった変化なのだと、
映画は、圧倒的な説得力をもって、観ている者に伝えてきました。
幼い者と老いた者、生きてゆく者と死にゆく者、あるいは、過去と未来、
その境界が、いかに混沌として、線引きが難しく、というか、むしろ
そこには、そもそも、違いなどなく、本来いっしょくたに存在しうべきもの
なのでは、ということが、じんわり感じられてきます。
たとえば、近しい人が亡くなって、そのひとの思い出にひたるとき、
この映画の時間のとらえ方の感じが、わかるような気がします。
ラストの男の子の笑顔、彼を笑顔にさせたもの、まったく本当に、素敵!
ジョイランドシネマ沼津にて、4月
シチリア!シチリア! 公式サイト
素晴らしいんですよ! 現実とファンタジーの融合というか、世界観が。
物語は50年におよぶ、三世代にわたっての、貧しかったり、悲しかったり、
ときめいたり、希望をもったり、楽しかったり、いらだったり、といった、
誰の人生にもおこる、さまざまな出来事といえるわけなんですけれど。
冒頭、コマ遊びに興じている男の子が、煙草を買ってこいと命じられて、
遊びのじゃまをされるところから、物語は始まるのだけれど、砂ぼこり舞う
なかを駆けてくる男の子の躍動感、流れるエンニオ・モリコーネさまの音楽、
まだ何も出来事は起きていないのに、わくわくしてしまって。
そして、次の場面、でてくるのは、さっきの男の子とはべつの男の子。
おなじように、ものすごい勢いで走っていて、どうやら、この男の子が、
物語の中心人物のような気配。ではさっきの、コマ遊びの男の子は、誰?
それが、監督の思うつぼ。映画を観ているうちに、時空を超えてしまう。
ひとつひとつのエピソードをつなぐ説明は、あまり丁寧にされません。
けっこう強引な時間の流れ方があったりして、あっというまに何十年か
過ぎてしまうのだけれど、それが、納得できるしゃれた映像のつなぎ方で。
ファシズムに支配された戦時、終戦後の政治的な対立、貧しい時代から
豊かな時代、あるいは抑圧された時代から自由な時代への変遷。
それが、ある視点から見れば、瞬時に起こってしまった変化なのだと、
映画は、圧倒的な説得力をもって、観ている者に伝えてきました。
幼い者と老いた者、生きてゆく者と死にゆく者、あるいは、過去と未来、
その境界が、いかに混沌として、線引きが難しく、というか、むしろ
そこには、そもそも、違いなどなく、本来いっしょくたに存在しうべきもの
なのでは、ということが、じんわり感じられてきます。
たとえば、近しい人が亡くなって、そのひとの思い出にひたるとき、
この映画の時間のとらえ方の感じが、わかるような気がします。
ラストの男の子の笑顔、彼を笑顔にさせたもの、まったく本当に、素敵!
ジョイランドシネマ沼津にて、4月
シチリア!シチリア! 公式サイト
by habits-beignets | 2011-04-23 01:41 | シネマのこと | Comments(0)