映画 神々と男たち
2011年 09月 13日
あんまり、宗教とかって、興味なかったりするんですけれど。
でも、信仰心ていうのは、誰の心にも宿っているものだという気はしていて。
宗教とか関係なく、神々しいというか、そういう姿勢って、あると思います。
宗教って厳格なもので、他の宗教と相容れないものなんじゃないかって
イメージがあるのですけれど、アルジェリアに派遣されているフランス人
修道士は、現地のイスラム教徒とお互いを尊重して、微笑ましいほど。
万人を愛することこそが、教えなのだと、実践している姿に威厳があります。
けれど、生命をおびやかす危険が目の前にせまってきて、修道士たちも
「人」として揺らぎはじめて。「死ぬためにここに来たのじゃない」
それもまた真、「神にすべてを捧げた」それもまた真。そんな迷いを
生じさせたのが、宗教を盾にした争いだというのがまた、皮肉というか。
信仰とは、勇気をさずけてくれるものなのだなあ、と、でも思いました。
どんな相手に対しても、分け隔てなく、対話を試みようとするその姿勢に。
暴力に怯え屈してしまうことが、暴力の世界を認めてしまうことで、
たとえ銃を向けられても、話し合おうとすることこそ、暴力の否定なのかも。
相手側の宗教を尊重して理解して、それが対話と平和を生む瞬間があって、
交渉とはこういうものなのだなあ、と思いました。それですべてがうまく
いくわけではない、ということも、すぐ後で描かれはするのだけれど。
誰とも愛をわかちあい、生をまっとうしたいと願うのに、できない悲しさ。
しばしば、聖書の教えや聖歌に触れることになるのだけれど、どれも美しく
しみじみと、心にしみました。緊迫した状況のなか、迷いながら苦しみながら、
でも淡々と、自分たちの使命や死生観と向き合い、状況に対応してゆく修道士
たちの、つかの間のお酒を楽しみながらの、表情が、なんともいえず崇高で。
じっさいにあった事件ということです。
クライマックス、修道院の静寂、雪けむり、余韻が残りました。
シネプラザサントムーンにて、9月
神々と男たち 公式サイト
でも、信仰心ていうのは、誰の心にも宿っているものだという気はしていて。
宗教とか関係なく、神々しいというか、そういう姿勢って、あると思います。
宗教って厳格なもので、他の宗教と相容れないものなんじゃないかって
イメージがあるのですけれど、アルジェリアに派遣されているフランス人
修道士は、現地のイスラム教徒とお互いを尊重して、微笑ましいほど。
万人を愛することこそが、教えなのだと、実践している姿に威厳があります。
けれど、生命をおびやかす危険が目の前にせまってきて、修道士たちも
「人」として揺らぎはじめて。「死ぬためにここに来たのじゃない」
それもまた真、「神にすべてを捧げた」それもまた真。そんな迷いを
生じさせたのが、宗教を盾にした争いだというのがまた、皮肉というか。
信仰とは、勇気をさずけてくれるものなのだなあ、と、でも思いました。
どんな相手に対しても、分け隔てなく、対話を試みようとするその姿勢に。
暴力に怯え屈してしまうことが、暴力の世界を認めてしまうことで、
たとえ銃を向けられても、話し合おうとすることこそ、暴力の否定なのかも。
相手側の宗教を尊重して理解して、それが対話と平和を生む瞬間があって、
交渉とはこういうものなのだなあ、と思いました。それですべてがうまく
いくわけではない、ということも、すぐ後で描かれはするのだけれど。
誰とも愛をわかちあい、生をまっとうしたいと願うのに、できない悲しさ。
しばしば、聖書の教えや聖歌に触れることになるのだけれど、どれも美しく
しみじみと、心にしみました。緊迫した状況のなか、迷いながら苦しみながら、
でも淡々と、自分たちの使命や死生観と向き合い、状況に対応してゆく修道士
たちの、つかの間のお酒を楽しみながらの、表情が、なんともいえず崇高で。
じっさいにあった事件ということです。
クライマックス、修道院の静寂、雪けむり、余韻が残りました。
シネプラザサントムーンにて、9月
神々と男たち 公式サイト
by habits-beignets | 2011-09-13 18:03 | シネマのこと | Comments(0)