映画 ものすごくうるさくて、ありえないほど近い
2012年 03月 12日
たいせつなひとを失う、という経験は、誰にでもかならず訪れるもの
なのでしょうけれど、それがあまりに突然、あまりに理不尽なかたち
だった場合のやりきれなさって、どうなんでしょう。9・11のお話。
わが目を疑うような大惨事の光景は、恐ろしく衝撃的なものだったけれど、
それによって、生命を絶たれた数多のひとたちのそれぞれの人生にまで
踏み込んで想像することは、ありませんでした。たぶん、恐かったから。
ひとつの社会的な事件として、遠くから眺めることで、済ませたかったような。
けれど、否応もなく、普段の生活が破壊されたひとたちは、実際に大勢
いたわけで、それでたとえば、ありえないほど慕っていた父親をあの事件で
奪われた少年がいたら、こんなふうにもがくのでは、という物語。
遺体にさえ、別れをつげることもできずに残された、苦しみとの葛藤。
少年期だからこその、繊細さというか残酷さというか、思考力、想像力は
かなり長けているのに、自分を律したり宥めたりすることは、できないで、
ただやみくもに、父親の未知の部分に触れようと、奔走するさまは、
それで何かが、解決するとも思えないのに、馬鹿馬鹿しいとはいえない。
愛するということは、求めるということで、いつまでも諦めずに
探し続けることだということが、少年の無謀ともいえる冒険が、切々と
訴えかけてくるかのよう。父親の、ほんのひとかけらだけでもいいから、
見つけたい、という、からだの奥底から湧いてとめられない欲求。
そんな彼がめぐりあったひとたちが、みな彼に同情して、あたたかな
コミュニケーションがあって、という筋書きは、でもちょっと出来過ぎで
ハリウッド調でもあるのだろうけれど、明るくできるものならば
可能なかぎり明るく、ということでもあったのかもしれません。
中盤から登場する「間借り人」の、謎めいた感じは、いくらか消化不良の感が
あるけれど、自らの想像力ではあきたらない方には、原作本がお勧めかも。
くり返される大惨事の、くり返される苦悩が、くわしく語られて、それでなお、
希望をあきらめないで、生きてゆく、生きることを覚悟する勇気もつたわって。
シネプラザサントムーンにて、2月
ものすごくうるさくて、ありえないほど近い 公式サイト
なのでしょうけれど、それがあまりに突然、あまりに理不尽なかたち
だった場合のやりきれなさって、どうなんでしょう。9・11のお話。
わが目を疑うような大惨事の光景は、恐ろしく衝撃的なものだったけれど、
それによって、生命を絶たれた数多のひとたちのそれぞれの人生にまで
踏み込んで想像することは、ありませんでした。たぶん、恐かったから。
ひとつの社会的な事件として、遠くから眺めることで、済ませたかったような。
けれど、否応もなく、普段の生活が破壊されたひとたちは、実際に大勢
いたわけで、それでたとえば、ありえないほど慕っていた父親をあの事件で
奪われた少年がいたら、こんなふうにもがくのでは、という物語。
遺体にさえ、別れをつげることもできずに残された、苦しみとの葛藤。
少年期だからこその、繊細さというか残酷さというか、思考力、想像力は
かなり長けているのに、自分を律したり宥めたりすることは、できないで、
ただやみくもに、父親の未知の部分に触れようと、奔走するさまは、
それで何かが、解決するとも思えないのに、馬鹿馬鹿しいとはいえない。
愛するということは、求めるということで、いつまでも諦めずに
探し続けることだということが、少年の無謀ともいえる冒険が、切々と
訴えかけてくるかのよう。父親の、ほんのひとかけらだけでもいいから、
見つけたい、という、からだの奥底から湧いてとめられない欲求。
そんな彼がめぐりあったひとたちが、みな彼に同情して、あたたかな
コミュニケーションがあって、という筋書きは、でもちょっと出来過ぎで
ハリウッド調でもあるのだろうけれど、明るくできるものならば
可能なかぎり明るく、ということでもあったのかもしれません。
中盤から登場する「間借り人」の、謎めいた感じは、いくらか消化不良の感が
あるけれど、自らの想像力ではあきたらない方には、原作本がお勧めかも。
くり返される大惨事の、くり返される苦悩が、くわしく語られて、それでなお、
希望をあきらめないで、生きてゆく、生きることを覚悟する勇気もつたわって。
シネプラザサントムーンにて、2月
ものすごくうるさくて、ありえないほど近い 公式サイト
by habits-beignets | 2012-03-12 00:12 | シネマのこと | Comments(0)