映画 最高の人生をあなたと
2012年 08月 23日
とつぜん、ではないのです。生きていればあたりまえ、なのです。
だから、けっして不幸なことではなくて、享受すべき、老いることは。
とはいえ、その事実を客観的な視点から思い知らされるときの、ショック。
老人、なんて誰か他人のこと、だとしか思っていなかったのに、あるとき、
そういった目が、まわりから自分に注がれていることに気づくことになり、
でもたしかに、理解はできる、そりゃそうだ、自分の年齢を数えて、納得。
だから、その事実を素直にうけいれて、幸福な老いかたを妻は模索して、
なのに、夫は断固拒絶しようと、老いを毛嫌い、若々しくいることばかり
望んで、夫婦はすれ違い、あっというまに亀裂、これからの人生をともに
生きてゆけるのか、なにかに試されるかのような時間が訪れるのだけれど。
二十歳と八十歳があるだけではなく、そのあいだがある、という台詞。
そうなのよねえ、とおもう。若かったころは、なんとなく、老人って
最初から老人だった、というように錯覚していて、自分が年寄りになるとは、
頭ではわかっていても、感覚で、その事実を信じることができないでいた。
きのうよりも今日、というか一秒一秒ちょっとずつ老いている事実を
マイナスのイメージではなく、好ましい変化として受け入れたい、という
妻の試みが、いじらしい。老女となることは諦めても、女性として輝きたい、
若い女に同情されるのではなく、年齢を重ねることで、魅力的になれるはず。
そうよそうよ、若い、ということが、なぜ賞賛されなければならないの?
老人ホームの設計に、気乗りしない夫に、詰め寄りたくもなってしまう。
「年寄り」を、否定的に、哀れむべきものに、してしまうのは、人生の
道のりそのものを、醜いものだととらえることと、同義ということでは?
なんてでも、映画のご両人は、じゅうぶん若々しくて、老いなど意識せず
とも済みそうな、いでたちではあるのだけれど。ともかくまず、色っぽいし、
色気にも堂々と、貫禄がそなわって、イチャつきぶりにも、年季が入って。
『ぜんぶ、フィデルのせい』の監督作品。普遍的テーマをひとつの家族で。
ジョイランドシネマ沼津にて、8月
最高の人生をあなたと 公式サイト
だから、けっして不幸なことではなくて、享受すべき、老いることは。
とはいえ、その事実を客観的な視点から思い知らされるときの、ショック。
老人、なんて誰か他人のこと、だとしか思っていなかったのに、あるとき、
そういった目が、まわりから自分に注がれていることに気づくことになり、
でもたしかに、理解はできる、そりゃそうだ、自分の年齢を数えて、納得。
だから、その事実を素直にうけいれて、幸福な老いかたを妻は模索して、
なのに、夫は断固拒絶しようと、老いを毛嫌い、若々しくいることばかり
望んで、夫婦はすれ違い、あっというまに亀裂、これからの人生をともに
生きてゆけるのか、なにかに試されるかのような時間が訪れるのだけれど。
二十歳と八十歳があるだけではなく、そのあいだがある、という台詞。
そうなのよねえ、とおもう。若かったころは、なんとなく、老人って
最初から老人だった、というように錯覚していて、自分が年寄りになるとは、
頭ではわかっていても、感覚で、その事実を信じることができないでいた。
きのうよりも今日、というか一秒一秒ちょっとずつ老いている事実を
マイナスのイメージではなく、好ましい変化として受け入れたい、という
妻の試みが、いじらしい。老女となることは諦めても、女性として輝きたい、
若い女に同情されるのではなく、年齢を重ねることで、魅力的になれるはず。
そうよそうよ、若い、ということが、なぜ賞賛されなければならないの?
老人ホームの設計に、気乗りしない夫に、詰め寄りたくもなってしまう。
「年寄り」を、否定的に、哀れむべきものに、してしまうのは、人生の
道のりそのものを、醜いものだととらえることと、同義ということでは?
なんてでも、映画のご両人は、じゅうぶん若々しくて、老いなど意識せず
とも済みそうな、いでたちではあるのだけれど。ともかくまず、色っぽいし、
色気にも堂々と、貫禄がそなわって、イチャつきぶりにも、年季が入って。
『ぜんぶ、フィデルのせい』の監督作品。普遍的テーマをひとつの家族で。
ジョイランドシネマ沼津にて、8月
最高の人生をあなたと 公式サイト
by habits-beignets | 2012-08-23 01:14 | シネマのこと | Comments(0)