映画 ジェーン・エア
2012年 09月 08日
運命にみちびかれた、永遠の魂のむずびつきは存在するのでしょうか。
平凡な日常をおくっていると、それは絵空ごと、と諦めてしまうけれど。
舞台は19世紀イギリス。良家の令嬢ではあるけれど、孤児の身の上ゆえ
苦難の子供時代をすごすことに、けれど芯の強さでのりきって、やがて
名家の家庭教師に。そこで、どこか訳ありげで気性の激しい主人と出会って
すぐに反発しあい、皮肉の応酬、不運な巡り合わせのように見えたけれど。
急速に惹かれあうさまは、いつのまに、というぐらいの呆気なさで、
互いに理解を深めて、というふうにはまったく思えない、奇妙なかんじ
でもあるのだけれど、たえず姿をもとめて気持ちが落ち着かないふたりの
表情をみせつけられると、たしかに恋とは、こんなふうな秘密裏のもの。
主人の留守中、やるせない思いを抱いて、彼を待ちわびながらさまよう、
ジェーンの、後ろ姿が、いじらしくて美しい。やけつくような嫉妬に
苦しみながら、それでも自尊心をたもとうと葛藤し、けれどけっきょくは、
相手の愛を勝ち得ることができたときの、感激、至福。それなのに。
信じることすらできなかった恐ろしいほどの幸福が、やはり奪われた
ときの嘆きは、これまでの苦労や悲しみとは比較にならないほど、
彼女を打ちのめすけれど、同時に、このうえない強さが彼女の愛情に
育つことになったのかも。魂が試される、たぶんケタはずれの試練。
王道のラブストーリーの原型でありそうな、不朽の名作の映画化。
壮大で美しい景色など、拡張高く、笑わない女主人公の内に秘めた
激情も、観るものの想像力をかき立てます。ようやくたどり着いた
主人公の答えに、運命の恋の存在を信じられるような気が。
離れようとしても、忘れようとしても、ふとした瞬間に、自分を呼ぶ声。
魂どうしが、つねに求めあう、そんな誰かが、きっとどこかに?
ジョイランドシネマ沼津にて、9月
ジェーン・エア 公式サイト
平凡な日常をおくっていると、それは絵空ごと、と諦めてしまうけれど。
舞台は19世紀イギリス。良家の令嬢ではあるけれど、孤児の身の上ゆえ
苦難の子供時代をすごすことに、けれど芯の強さでのりきって、やがて
名家の家庭教師に。そこで、どこか訳ありげで気性の激しい主人と出会って
すぐに反発しあい、皮肉の応酬、不運な巡り合わせのように見えたけれど。
急速に惹かれあうさまは、いつのまに、というぐらいの呆気なさで、
互いに理解を深めて、というふうにはまったく思えない、奇妙なかんじ
でもあるのだけれど、たえず姿をもとめて気持ちが落ち着かないふたりの
表情をみせつけられると、たしかに恋とは、こんなふうな秘密裏のもの。
主人の留守中、やるせない思いを抱いて、彼を待ちわびながらさまよう、
ジェーンの、後ろ姿が、いじらしくて美しい。やけつくような嫉妬に
苦しみながら、それでも自尊心をたもとうと葛藤し、けれどけっきょくは、
相手の愛を勝ち得ることができたときの、感激、至福。それなのに。
信じることすらできなかった恐ろしいほどの幸福が、やはり奪われた
ときの嘆きは、これまでの苦労や悲しみとは比較にならないほど、
彼女を打ちのめすけれど、同時に、このうえない強さが彼女の愛情に
育つことになったのかも。魂が試される、たぶんケタはずれの試練。
王道のラブストーリーの原型でありそうな、不朽の名作の映画化。
壮大で美しい景色など、拡張高く、笑わない女主人公の内に秘めた
激情も、観るものの想像力をかき立てます。ようやくたどり着いた
主人公の答えに、運命の恋の存在を信じられるような気が。
離れようとしても、忘れようとしても、ふとした瞬間に、自分を呼ぶ声。
魂どうしが、つねに求めあう、そんな誰かが、きっとどこかに?
ジョイランドシネマ沼津にて、9月
ジェーン・エア 公式サイト
by habits-beignets | 2012-09-08 22:59 | シネマのこと | Comments(0)