映画 聴こえてる、ふりをしただけ
2012年 11月 30日
11歳、小学校五年生、少女。母親にとつぜん死なれて。
これまでの平穏が、じわじわ、足場から崩れてゆく物語。

ランドセルを背負ってはいても、大人びた彼女たちの姿が痛々しい
というか、すでにもう、いっぱしの女性のようで、子供の無邪気さと、
大人の計算高さ、見栄のようなものが、入り混じっているかんじが、
妙にリアルで、恥ずかしいような悲しいような、胸がちょっと痛くて。

派手に泣いたりしないで、大丈夫、と気丈につぶやく物わかりのよさが
いじらしく、つい言葉をかけてしまうけれど、お母さんはいつも見守って
いる、なんて。でも、いたわりのつもりのその言葉が、少女にとっては、
とてつもなく切実な大問題で、どんなふうに? ほんとうに?

死んでしまった、いなくなってしまった、という事実を、どう理解
すればよいのか、どう受け止めればよいのか、戸惑い、さすらう姿が
微妙な距離をあけての、友だちや家族との会話を交えながら、描かれて、
弾ける笑顔をどこかに忘れてしまった少女の、過酷な旅路が訴えてきて。

「おばけ」をこわいものだとは、もう彼女にはおもえない。
「おばけ」にぜったい居てほしい。ここに来てほしい、現われて、
じっと見つめてほしい、まだちゃんとどこかにいるということを、
信じられるようになりたい。なのに、大人になるにはそれは無理。

わかったふりをして、いい子になろうとしても、ときどき爆発して
ほとばしる感情が、静かな画面からつたわってきて。建前と本音の
せめぎあいの気配が、しじゅう漂っていて。天真爛漫な転校生への、
嫉妬と憧れに揺さぶられる姿が、こわれそうなガラスのよう。

その喪失が、これほど深い罅を刻んでしまうなんて、母親、というか
一家の主婦はほんとうに、太陽のような存在感であるのでしょうね。
ジョイランドシネマ沼津にて、11月
聴こえてる、ふりをしただけ 公式サイト
これまでの平穏が、じわじわ、足場から崩れてゆく物語。

ランドセルを背負ってはいても、大人びた彼女たちの姿が痛々しい
というか、すでにもう、いっぱしの女性のようで、子供の無邪気さと、
大人の計算高さ、見栄のようなものが、入り混じっているかんじが、
妙にリアルで、恥ずかしいような悲しいような、胸がちょっと痛くて。

派手に泣いたりしないで、大丈夫、と気丈につぶやく物わかりのよさが
いじらしく、つい言葉をかけてしまうけれど、お母さんはいつも見守って
いる、なんて。でも、いたわりのつもりのその言葉が、少女にとっては、
とてつもなく切実な大問題で、どんなふうに? ほんとうに?

死んでしまった、いなくなってしまった、という事実を、どう理解
すればよいのか、どう受け止めればよいのか、戸惑い、さすらう姿が
微妙な距離をあけての、友だちや家族との会話を交えながら、描かれて、
弾ける笑顔をどこかに忘れてしまった少女の、過酷な旅路が訴えてきて。

「おばけ」をこわいものだとは、もう彼女にはおもえない。
「おばけ」にぜったい居てほしい。ここに来てほしい、現われて、
じっと見つめてほしい、まだちゃんとどこかにいるということを、
信じられるようになりたい。なのに、大人になるにはそれは無理。

わかったふりをして、いい子になろうとしても、ときどき爆発して
ほとばしる感情が、静かな画面からつたわってきて。建前と本音の
せめぎあいの気配が、しじゅう漂っていて。天真爛漫な転校生への、
嫉妬と憧れに揺さぶられる姿が、こわれそうなガラスのよう。

その喪失が、これほど深い罅を刻んでしまうなんて、母親、というか
一家の主婦はほんとうに、太陽のような存在感であるのでしょうね。
ジョイランドシネマ沼津にて、11月
聴こえてる、ふりをしただけ 公式サイト
by habits-beignets | 2012-11-30 20:36 | シネマのこと | Comments(0)