映画 桃(タオ)さんのしあわせ
2013年 04月 02日
いつも、あたりまえに、そばに居てくれたひとが、倒れたときの戸惑い。
それは、自分の存在価値さえ、あやうくおもわれるような頼りなさ。
いつかはそうなるときがくる、と頭ではわかっているつもりでも、
いざその兆しが表れたときの、動揺、日々の生活に、さざ波がたって、
そのうねりの気配に、つねに怯えていることの、ちくちくとした痛み、
桃さんと、彼女に育てられた青年の、せつない心の交流が、静かに。
物語はゆっくり、桃さんのあぶなっかしい足取りのように、たじろぎながら
それでも、確実にまえへと進み、素朴な日常の積み重ねではあるのだけれど、
避けられない「そのとき」にちかづいて、多忙な身にもかかわらず、躊躇なく
介護を引き受けた青年の、いたわりとやさしさに包まれながら、穏やかに。
老人ホームでの、戸惑いながらもなじんでゆく、桃さんと青年、楽しみな、
ときどきのお出かけ、最初はその場所にそぐわないほど元気にみえていた、
おしゃれをすると若い頃の美人ぶりを彷彿とさせていた桃さんも、舞台が
場面転換を繰り返すうち、着実によわってゆく様子が、とてもリアルで。
とくにそれほど悲観したり苦悩したりは、してみせなくても、それぞれの、
人生でのわかれに立ち向かう、一瞬一瞬をたいせつに、笑顔と思いやりを
かき集めて、悲しみとたたかうさまが、心を揺さぶってきて。ちょっと
ワルなおじいさんにも、寛大なのは、弾けるときの大切さがわかってるから?
さまざまな事情を抱えているひとたちの、さりげない心の交流が描かれながら、
ささやかな出来事を、いつくしむことの尊さに、思いは引き寄せられ。
絶やさない笑顔の、その合間の、悲しみが、冷静さのなかにも、じわり滲んで、
感情的な台詞はいっさい排されても、仕方ないのか、嘆きが聞こえるよう。
時の流れに逆らえず、身内が弱ってゆくのを見守る機会を、もつようになると、
ほんとうに胸に突き刺さってくるような、お話でした。どうにかしたいのに、
諦めるしかないと、覚悟することの、からだが冷たくなるような、脱力感。
恥ずかしながら、途中から、胸の奥底で静かに嗚咽。
アンディ・ラウの素朴な好青年ぶりが、とってもすばらしい。
ジョイランドシネマ沼津にて、4月
桃(タオ)さんのしあわせ 公式サイト
それは、自分の存在価値さえ、あやうくおもわれるような頼りなさ。
いつかはそうなるときがくる、と頭ではわかっているつもりでも、
いざその兆しが表れたときの、動揺、日々の生活に、さざ波がたって、
そのうねりの気配に、つねに怯えていることの、ちくちくとした痛み、
桃さんと、彼女に育てられた青年の、せつない心の交流が、静かに。
物語はゆっくり、桃さんのあぶなっかしい足取りのように、たじろぎながら
それでも、確実にまえへと進み、素朴な日常の積み重ねではあるのだけれど、
避けられない「そのとき」にちかづいて、多忙な身にもかかわらず、躊躇なく
介護を引き受けた青年の、いたわりとやさしさに包まれながら、穏やかに。
老人ホームでの、戸惑いながらもなじんでゆく、桃さんと青年、楽しみな、
ときどきのお出かけ、最初はその場所にそぐわないほど元気にみえていた、
おしゃれをすると若い頃の美人ぶりを彷彿とさせていた桃さんも、舞台が
場面転換を繰り返すうち、着実によわってゆく様子が、とてもリアルで。
とくにそれほど悲観したり苦悩したりは、してみせなくても、それぞれの、
人生でのわかれに立ち向かう、一瞬一瞬をたいせつに、笑顔と思いやりを
かき集めて、悲しみとたたかうさまが、心を揺さぶってきて。ちょっと
ワルなおじいさんにも、寛大なのは、弾けるときの大切さがわかってるから?
さまざまな事情を抱えているひとたちの、さりげない心の交流が描かれながら、
ささやかな出来事を、いつくしむことの尊さに、思いは引き寄せられ。
絶やさない笑顔の、その合間の、悲しみが、冷静さのなかにも、じわり滲んで、
感情的な台詞はいっさい排されても、仕方ないのか、嘆きが聞こえるよう。
時の流れに逆らえず、身内が弱ってゆくのを見守る機会を、もつようになると、
ほんとうに胸に突き刺さってくるような、お話でした。どうにかしたいのに、
諦めるしかないと、覚悟することの、からだが冷たくなるような、脱力感。
恥ずかしながら、途中から、胸の奥底で静かに嗚咽。
アンディ・ラウの素朴な好青年ぶりが、とってもすばらしい。
ジョイランドシネマ沼津にて、4月
桃(タオ)さんのしあわせ 公式サイト
by habits-beignets | 2013-04-02 19:34 | シネマのこと | Comments(0)