映画 ある海辺の詩人―小さなヴェニスで―
2013年 04月 29日
ヴェニス。水の都のイメージにはどこか華やかさを覚えるけれど、
映画の舞台のキオッジャは、うら寂しさを醸しながらの、たおやかさ。
最愛の息子と暮らすために、いまは遠く離れて孤独な暮らしを強いられる
おとなしげな中国女性が、命じられるまま、ちいさな酒場で働くすがたが、
戸惑いつつも地元漁師のおじさんたちと馴染んでゆく過程が、微笑ましく。
妙に可憐なんです彼女、酒場に似つかわしくなさそうな出で立ちなのに。
化粧気なく少女のよう、遠慮がちに表情を変えるしぐさには、なにかを
秘めていそうなほのかな輝き、ちょうど、暗がりで真っ赤な花びらの灯明を
水辺にうかべたときの、せつなさを訴えてくる光のよう。だから、こころの
どこかに、おなじ芯をうずめている者は、もらい火がほしくなるような。
おだやかそうではあるけれど、寒々しい潟で、漁にたずさわる老齢の
男たちの、たくましさと寂しさは、遠くに雪の山脈を背景にひろがる
海面のかすかな波だちを、そのまま、からだの奥にたたえていそうで、
風にあおられれば、とつじょ波ははげしく、海底のうねりがあらわれて。
いきなり水かさが増し、床まで浸水した酒場でも、客の誰もが慌てないで
いつもとおなじにくつろぐのに、店ではたらくシュン・リーだけが戸惑い、
けれど、こころがかよい始めた老漁師ベーピの励ますようないたずらが、
馴染み客がつどう、ありふれた酒場を、つかのま、詩情ただよう幻想に。
互いの境遇を、写真をみせながら、とつとつ、語りあうさまは、
ひそかに抱えていた孤独を、いたわりあう気配が感じられて、それを
愛情とか、罠だとか、型にはめようとする周囲に、汚されるのが気の毒
だけれど、愛の対象をきちんと定めないと、踏みつぶされてしまうかも。
イタリア語をたどたどしく喋る、シュン・リーの、透明な声が、詩を詠む
のにとても、ふさわしく、にわか詩人の老漁師に、慈しまれるのが自然で、
水面にうかぶ灯火を、大切ななにかの、とむらいなのだと、共感できる
魂のむすびつきが、かたちあるつながりは断たれても、どこかでまた。
ジョイランドシネマ沼津にて、4月
ある海辺の詩人―小さなヴェニスで― 公式サイト
映画の舞台のキオッジャは、うら寂しさを醸しながらの、たおやかさ。
最愛の息子と暮らすために、いまは遠く離れて孤独な暮らしを強いられる
おとなしげな中国女性が、命じられるまま、ちいさな酒場で働くすがたが、
戸惑いつつも地元漁師のおじさんたちと馴染んでゆく過程が、微笑ましく。
妙に可憐なんです彼女、酒場に似つかわしくなさそうな出で立ちなのに。
化粧気なく少女のよう、遠慮がちに表情を変えるしぐさには、なにかを
秘めていそうなほのかな輝き、ちょうど、暗がりで真っ赤な花びらの灯明を
水辺にうかべたときの、せつなさを訴えてくる光のよう。だから、こころの
どこかに、おなじ芯をうずめている者は、もらい火がほしくなるような。
おだやかそうではあるけれど、寒々しい潟で、漁にたずさわる老齢の
男たちの、たくましさと寂しさは、遠くに雪の山脈を背景にひろがる
海面のかすかな波だちを、そのまま、からだの奥にたたえていそうで、
風にあおられれば、とつじょ波ははげしく、海底のうねりがあらわれて。
いきなり水かさが増し、床まで浸水した酒場でも、客の誰もが慌てないで
いつもとおなじにくつろぐのに、店ではたらくシュン・リーだけが戸惑い、
けれど、こころがかよい始めた老漁師ベーピの励ますようないたずらが、
馴染み客がつどう、ありふれた酒場を、つかのま、詩情ただよう幻想に。
互いの境遇を、写真をみせながら、とつとつ、語りあうさまは、
ひそかに抱えていた孤独を、いたわりあう気配が感じられて、それを
愛情とか、罠だとか、型にはめようとする周囲に、汚されるのが気の毒
だけれど、愛の対象をきちんと定めないと、踏みつぶされてしまうかも。
イタリア語をたどたどしく喋る、シュン・リーの、透明な声が、詩を詠む
のにとても、ふさわしく、にわか詩人の老漁師に、慈しまれるのが自然で、
水面にうかぶ灯火を、大切ななにかの、とむらいなのだと、共感できる
魂のむすびつきが、かたちあるつながりは断たれても、どこかでまた。
ジョイランドシネマ沼津にて、4月
ある海辺の詩人―小さなヴェニスで― 公式サイト
by habits-beignets | 2013-04-29 21:57 | シネマのこと | Comments(0)