映画 嘆きのピエタ
2013年 09月 09日
ドキドキの序盤、痛そうな場面がいかにも貧しげな鉄工場たちを舞台に。
主人公の男性の現れかたがまた、まさに不気味な悪魔のつかいのようで。
借金の取り立ての様子が、つぎつぎ描かれるのですが、その無慈悲ぶりは
表情ひとつ変えないで、機械的に任務をこなす、まるでロボットのよう。
やられる側からの罵声にも、まったくこたえる気配さえない、憎々しさ。
それが、いきなり母親を名乗る女性の出現に、ほとばしる感情が。
疑って証拠をもとめても、ごり押しのいきおいで、ストーカーさながらに、
つきまとう自称母親に、当惑しながら反発しながら、それでもじきに部屋に
いれてしまうのは、信じたい、本当は母に会いたい、という強い欲求に、
あらがえなかったから。愛する対象をもつことの、興奮がからだに広がって。
でも、愛を、大切なひとの存在を知れば、悲しみや迷いや痛みを知ることに。
そして恐れ、何かを失うことを恐れてしまえば、もはや無敵ではいられない。
愛とは? 金とは? 命とは? それまで心にとめることもなかった疑問が
あふれてくるのは、心のうちに涌き出した感情に、戸惑ってしまうからでは。
たぶん、それまで、無機的な風景にしか映らなかった、借金を返さない輩が
巣くうだけの工場町が、そこに根づいている家族たちの暮らしの、切なさや
悲しさが、ちいさな工場たちの間をぬって流れる川を、高い所から見下ろす
その目に、浮き上がってせまってくるほどに、つたわってきた気配までして。
けれど、それで、過去の残虐な行為が、簡単に許されてしまうのかというと、
そんなにうまくはいかなさそうな成りゆきが。愛をもって愛をおしえて、
愛で報いる、その徹底ぶりが、恐ろしいおぞましい、というか、人の思惑を
超えて、愛はあらゆるものを飲み込み、作用し、暴力的にひろがるような。
終盤の主人公の、体を張っての訴えは、滑稽なほどに哀れで。そのあとの
構図は、どれも詩的、凄惨でエグいけれど美しいファンタジー、それでも、
愛を知ることができれば、幸福な瞬間はあったのではという救いの光が。
ジョイランドシネマ沼津にて、9月
嘆きのピエタ 公式サイト
主人公の男性の現れかたがまた、まさに不気味な悪魔のつかいのようで。
借金の取り立ての様子が、つぎつぎ描かれるのですが、その無慈悲ぶりは
表情ひとつ変えないで、機械的に任務をこなす、まるでロボットのよう。
やられる側からの罵声にも、まったくこたえる気配さえない、憎々しさ。
それが、いきなり母親を名乗る女性の出現に、ほとばしる感情が。
疑って証拠をもとめても、ごり押しのいきおいで、ストーカーさながらに、
つきまとう自称母親に、当惑しながら反発しながら、それでもじきに部屋に
いれてしまうのは、信じたい、本当は母に会いたい、という強い欲求に、
あらがえなかったから。愛する対象をもつことの、興奮がからだに広がって。
でも、愛を、大切なひとの存在を知れば、悲しみや迷いや痛みを知ることに。
そして恐れ、何かを失うことを恐れてしまえば、もはや無敵ではいられない。
愛とは? 金とは? 命とは? それまで心にとめることもなかった疑問が
あふれてくるのは、心のうちに涌き出した感情に、戸惑ってしまうからでは。
たぶん、それまで、無機的な風景にしか映らなかった、借金を返さない輩が
巣くうだけの工場町が、そこに根づいている家族たちの暮らしの、切なさや
悲しさが、ちいさな工場たちの間をぬって流れる川を、高い所から見下ろす
その目に、浮き上がってせまってくるほどに、つたわってきた気配までして。
けれど、それで、過去の残虐な行為が、簡単に許されてしまうのかというと、
そんなにうまくはいかなさそうな成りゆきが。愛をもって愛をおしえて、
愛で報いる、その徹底ぶりが、恐ろしいおぞましい、というか、人の思惑を
超えて、愛はあらゆるものを飲み込み、作用し、暴力的にひろがるような。
終盤の主人公の、体を張っての訴えは、滑稽なほどに哀れで。そのあとの
構図は、どれも詩的、凄惨でエグいけれど美しいファンタジー、それでも、
愛を知ることができれば、幸福な瞬間はあったのではという救いの光が。
ジョイランドシネマ沼津にて、9月
嘆きのピエタ 公式サイト
by habits-beignets | 2013-09-09 04:00 | シネマのこと | Comments(0)