映画 ふたりのアトリエ〜ある彫刻家とモデル
2014年 02月 26日
芸術家と被写体、というと『真珠の耳飾りの少女』をどうしても思い出して
しまうんですが、そこまで濃密なつながりを見いだせない、老人と娘の物語でも
単に「仕事」として対峙する以外の、かすかに魂が共振する刹那的な瞬間が。

モノクロの画面に映し出されるのは、第二次大戦下のフランスの田舎町。
市場の片隅には、浮浪者のようなひとたちの姿もあって、一見、ものものしい
戦時の印象はあまり感じられないのに、占領され迫害され、国を追われてきた
身の上も、ごく当たりの光景に、不穏な空気がじつは忍び込んでいる気配が。

そんななかでも、自分の目指す芸術のためだけに、時間と労力をそそぐ
彫刻家のすがたは、食いぶちのために裸体をさらすはめになった、若い娘の
目には、いささか異様で、浮世離れしているようにも映って、それでも、
自らの人生で、最もたいせつなものを、追求する情熱には、感応するようで。

不動の姿勢をとる合間に、ついはしゃいだり、体をうごかしてしまうモデルに、
彫刻家はいらいらするけれど、その肉体から発散される、生命力のまぶしさに
おもわず息をのみ、目を見はらずにはいられなさそうで、そうした時間の
積み重ねで、互いの気持ちや考えのゆらぎを、つまびきあう、つながりに。

夜更けに川で水浴びしたり、山道を歩き回る娘の、意外に思慮深くタフな
様子が、月光が描く陰影のあざやかさに浮かび上がって、ときに勇敢に
戦闘にたちむかおうとする言動は、ただ黙って創作にいそしむ老人と対極に
位置していそうだけれど、レンブラントのスケッチには引き込まれ寄り添って。

神の存在を証明するもの、と彫刻家が語るものに、つまりは彼のすべてが
ありそうで、女性の体に彼がどれほど畏敬の念を抱いているか、男性としての
自分をどのように感じているか、長らくその裸体をみつめ、創造の引き金を
ひいてくれた彼女への、言葉にならない思いがラストの場面いっぱいに。

画面は白黒なのだけれど、モデルの娘がまとうガウンの質感と絵柄が
なんだか妙に気になるおしゃれな感じ。クラウディア・カルディナーレが
彫刻家の妻の役でものすごい存在感。
ジョイランドシネマ沼津にて2月
ふたりのアトリエ~ある彫刻家とモデル 公式サイト
しまうんですが、そこまで濃密なつながりを見いだせない、老人と娘の物語でも
単に「仕事」として対峙する以外の、かすかに魂が共振する刹那的な瞬間が。

モノクロの画面に映し出されるのは、第二次大戦下のフランスの田舎町。
市場の片隅には、浮浪者のようなひとたちの姿もあって、一見、ものものしい
戦時の印象はあまり感じられないのに、占領され迫害され、国を追われてきた
身の上も、ごく当たりの光景に、不穏な空気がじつは忍び込んでいる気配が。

そんななかでも、自分の目指す芸術のためだけに、時間と労力をそそぐ
彫刻家のすがたは、食いぶちのために裸体をさらすはめになった、若い娘の
目には、いささか異様で、浮世離れしているようにも映って、それでも、
自らの人生で、最もたいせつなものを、追求する情熱には、感応するようで。

不動の姿勢をとる合間に、ついはしゃいだり、体をうごかしてしまうモデルに、
彫刻家はいらいらするけれど、その肉体から発散される、生命力のまぶしさに
おもわず息をのみ、目を見はらずにはいられなさそうで、そうした時間の
積み重ねで、互いの気持ちや考えのゆらぎを、つまびきあう、つながりに。

夜更けに川で水浴びしたり、山道を歩き回る娘の、意外に思慮深くタフな
様子が、月光が描く陰影のあざやかさに浮かび上がって、ときに勇敢に
戦闘にたちむかおうとする言動は、ただ黙って創作にいそしむ老人と対極に
位置していそうだけれど、レンブラントのスケッチには引き込まれ寄り添って。

神の存在を証明するもの、と彫刻家が語るものに、つまりは彼のすべてが
ありそうで、女性の体に彼がどれほど畏敬の念を抱いているか、男性としての
自分をどのように感じているか、長らくその裸体をみつめ、創造の引き金を
ひいてくれた彼女への、言葉にならない思いがラストの場面いっぱいに。

画面は白黒なのだけれど、モデルの娘がまとうガウンの質感と絵柄が
なんだか妙に気になるおしゃれな感じ。クラウディア・カルディナーレが
彫刻家の妻の役でものすごい存在感。
ジョイランドシネマ沼津にて2月
ふたりのアトリエ~ある彫刻家とモデル 公式サイト
by habits-beignets | 2014-02-26 19:54 | シネマのこと | Comments(0)