映画 わたしは、ダニエル・ブレイク
2017年 06月 06日
病気で失業を余儀なくされた、おじいさんが、貧しいシングルマザーと心通わせ、
なんて、ほのぼの心温まる物語かと思いきや、なかなか厳しく、鋭く、痛いです。
イギリスのニューカッスル、実直な大工だったダニエルが、どうやら病に倒れ、
国の援助を受けるための手続きに四苦八苦、これが、見ているこちらもイライラ、
まじめに自分の窮状を伝えようとしているのに、返ってくる答えはズレまくり、
怒りをおさえて、従おうにも、わけのわからない無意味な煩雑さに、翻弄の連続。
困窮したひとりひとりの訴えが届かないで、絶望の空気が充満した窓口で、
ふたりの子をつれた、若い母親の嘆く声が響き、たまらず援護したダニエルは、
自分の境遇だってままならないのに、彼女に同情、真心こめて出来る限りの親切、
お金はなくても、寄り添って、励まして、役立つ情報や持ってる技術で、助けて。
けれど、いくら隣人の、やさしい気持ちやいたわる言葉があったところで、
生きてくのに、食べものや、いろんなものはどうしても必要、やはりお金が必要、
自分を理解してくれる人も、救いにはなっても、それだけでは、悲しいことに、
暮らしは成り立たない、だから、そのための国の制度のはずなのだけれど、なぜ。
きちんと真面目に、国のための義務を果たしてきたのに、裏切られたような
やりきれなさは、どこにぶつければいいんでしょうね、援助を請うというのは、
それほどまで貶められるべきことなのでしょうか、媚びへつらえ、みたいに、
高圧的に課される手続きは、まるで、諦めろとでも、言いたげに思えて。
自分が最後まで守りたいと願っているもの、どんな境遇になっても、大切に、
持ち続けていたものを奪われなければ、生活できない状況になってしまったら、
生きてゆく意味って、価値って、希望って、信じられるものなんでしょうか、
誰もがともに、幸福を求めることを、認めあう社会って、あり得ないの?
いえ、みな親切なんです、隣人も知り合ったばかりの人も、見知らぬ人だって、
困ってたり倒れそうな人には、助けてくれる人がたくさん、なのに、
組織にくみこまれると、名札をつけると、とつじょ不人情に、話さえ通じず、
得体の知れない何かにたどり着けない、カフカの不条理劇さながらの、物語に。
国民の誰もが健やかに生活できるよう、よかれ、と定められたはずのしくみが、
本来の目的から目をそらしてしまうことの、恐ろしさに、打ちのめされそうな、
善良なひとたちに、ダニエルのまっすぐな言葉が、勇気を与えてくれますように。
シネプラザサントムーンにて6月
by habits-beignets | 2017-06-06 22:56 | シネマのこと | Comments(0)