映画 ジャコメッティ 最後の肖像
2018年 02月 25日
それも、家から遠く離れた外国での足止め、遠のく帰国、でも突き放して帰れない。
パリまで、高名な彫刻家の個展を訪れた作家が、その彫刻家ジャコメッティに、
肖像画のモデルになってほしいと、頼まれてからの、ささやかな紆余曲折の騒動が、
軽やかに、いくぶん滑稽に、描かれるのですけれど、芸術家の苦悩の底知れなさよ、
何がそんなに不満なのか。何がそんなに腹立たしいのか、戸惑いつつ笑ってしまう。
頼んでモデルになってもらったのに、言いたい放題失礼千万だったりなのは、
芸術家として成功をおさめ、巨匠と認められた存在ゆえの、横暴さでもなさそうで、
どこか憎めない率直さ、純真さは、おそらく生来のもの、他人を罵倒もするけれど、
なにより自分自身をなさけなく感じてる気配は、どこか愛らしく、捨て置けなくて。
素晴らしい作品が、もうすぐやっと、完成しそうなのに、容赦なくかき消す、
その繰り返しの合間に、妻や愛人やちんぴらたちとのいざこざ、そして情緒不安定、
すぐに描き終わるつもりで、引き受けたモデルだったのに、こんなはずでは、
でも、帰国するとは言い出せない人のよさは、巨匠への遠慮ばかりでもないような。
この成りゆきの、終わり方を見届けたい、とか、その日常の魅力にひきずられて、
みたいな、好奇心に抗えないところもあったのでは、困っている自分をも楽しんで、
さいわい、その困惑を理解して、愚痴を聞いてくれるひとも、存在してくれたし、
悪意をぶつけられているわけではないですものね、求められているのは誇らしいし。
傍若無人のようでも、気まぐれのようでも、芸術に対しては、安易に妥協しない、
自分の才能を過信しない、そんな真摯な姿勢には、寄り添ってあげたくもなるし、
世間一般の価値観とは、一線を画す、強力な個性には、新鮮な驚きがいつもあって、
だから、帰りたい気持ちを、なんとなく、先延ばしに、狼狽えながらもしてしまい。
そうはいっても、いつまでもというわけにもいかず、というか、永遠に帰れない、
そんな不安がふくらむばかりで、ではどうすれば、の逡巡の末の、頭脳プレー、
強引に帰るということを、避けるために、それほどの注意力と戦略で応じるとは、
やさしいなあ、と嬉しくて、芸術を、芸術家を、愛してるかんじが、微笑ましくて。
ジャコメッティの作品て、一見してわかるなんともいえない魅力が。
アトリエにはところ狭しと、あちこち雑然と、倉庫の備品のように置かれて。
芸術家の隠れ家を覗いているような、楽しさが。
シネプラザサントムーンにて2月
by habits-beignets | 2018-02-25 19:36 | シネマのこと | Comments(0)