映画 モリのいる場所
2018年 07月 04日
身近に、 すぐ足もとに存在しているものたちに、いちいち気づいて、じっと見て、
語りかけ、寄りそい、何度も、何時間も、何十年もくり返すことの、神々しさ。
ぱっと見、稚拙な作風だけれど、すでに著名な画家となった94歳のじいさんが、
のんびり朝食を終えてから、なんだか妙ちきりんな騒ぎを経ての、静かな夜まで、
とある一日をとおしての、いかに変わり者で、いかにまわりに愛されていたかが、
描かれるのですが、これが、高名な芸術家らしさのない、風体のおかしみが。
その、目に映るもの気にかかるものの、限りなさったら、とかげ、かまきり、蝶、
蟻、鳥、魚、樹々、葉っぱ、石ころ、水面、それらを、なにひとつ漏らすまい、
どれも等しく、謎にみちて、このうえなく大切で、親密なものたちで、だから、
すべてと細やかにかかわろうとしているうちに、はるか遠くまで道に迷って。
なんて、それほど広くはない自宅の庭が、もはや、世界の果てまでの冒険のよう、
あたかも、樹々や草がのびのび生い茂ったジャングルめいて、なんと地底まで。
長いあいだ、一歩も外にでていないという伝説も、無理なく信じられるけれど、
高いところから見下ろせば、たとえ小さな庭だとしても、広大な宇宙につながって。
「好きなものしか書きませんから」の夫人の言葉の、徹底ぶりは、笑いを誘って、
まともに暮らしている者たちは、実際は、戸惑ったり、困ったり、呆気にとられて、
けれど、有名人相手に、あるいは老人相手に、文句もいえず、従ってみるうち、
その心持ちの、純粋さ、素朴さに、引き込まれて、芸術ってきっとそんな潤いが。
単純な輪郭線と色彩の、虫や、鳥や、獣は、子供でも描けそうに見えるけれど、
あきれるほどの時間を、ただ見つめることだけに費やしたからこその、
迷いのない、大らかでのびのびした、筆致であるのだなあ、と想像できて、
上手とか、下手とか、超越した、清々しさみたいなものが、魅力であるのかも。
冴えなくて、だらしなくて、頼りない、風貌だけれど、何ものにもこだわらない、
世間一般の価値観など、どこ吹く風の暮らしぶりは、みんな実は、羨ましかったり、
たいせつな庭で生きるものたちが、マンション建設で、どうなることやらと、
夫人はやきもきしているようだけれど、画家本人は、どこか達観の雰囲気が。
じつは、個人的なことですが、熊谷守一はずっと以前からとても好きで、
まだ、開館まもない豊島区の美術館を訪れて、その愛らしさに感激したことが。
手元に、昭和53年発行の、「アサヒグラフ別冊 美術特集 熊谷守一」が、
あるのだけれど、開いてみたら、映画の場面がけっこう忠実で驚きました。
若いときの作品は、ふつうにわかりやすく上手なかんじだったんですね。
純粋に、まっすぐ、描きつづけると、絵の構図は単純に、のびのびするのかも。
シネプラザサントムーンにて7月
by habits-beignets | 2018-07-04 21:13 | シネマのこと | Comments(0)