映画 チューリップ・フィーバー 肖像画に秘めた愛
2019年 01月 15日
いま、自分の幸福の度合いが、じゅうぶんで何をも必要としないほどなのか、
たしかに何かが足りなくて、それを欲して求めるべきなのかって、むずかしい。
修道院で暮らしていた孤児のソフィア、裕福な商人の中年男、コルネリスに、
嫁ぐのですが、修道院長の言葉にも表れているように、要は、就職なんですね、
おそらく、若さ、美しさ、体丈夫さ、真面目で慎み深いところを、買われて、
貧しい少女から、お屋敷での若奥さまの暮らしになって、それはありがたく。
就職ですから、彼女には課された仕事があるわけで、むろんそれは、あとつぎ、
お家を絶やさず、財産がきちんと受け継がれることが、夫には大切な問題、
ともに暮らす夫婦ですから、互いを思いやるあたたかな愛情は、あるけれど、
しばしば男女におとずれる、狂おしい熱情は、惜しいことに欠けらもなくて。
じっと、射ぬくほどに見つめられれば、不意打ちに、官能への扉が開かれて、
もはや、抗うことは、やはり難しく、一瞬のためらいはあっても、なのよね、
夫のやさしさに感謝して、彼へのいたわりの気持ちを、変わらず持ち続けても、
若い画家に、走りたい心と体を、欺くことができないのは、純粋で未熟だから?
先のことはわからなくても、今この瞬間の喜びと勢いで、不確かな幸福のために、
大博打を打ってしまうのは、バブルそのもの、なのかも、落ち着いて考えれば、
安心して穏やかに暮らしてゆけることの、大切さを、省みることができるのに、
彼こそすべてと、夢中になっているときには、現実の幸福を見逃してしまう。
それにしても、チューリップの美しさが、人々を狂乱の世界へと招いたなんて、
美しく希少なもののために、一瞬のうちに莫大な金が、動いたりするんですね、
そんなもの、いつかそれほどの価値がなくなる、と冷静に見通せる賢人こそ、
たよるべき相手なのに、どこかつまらなく感じてしまったりは、たしかに。
神聖な場所の修道院でも、チューリップ栽培に関わっていたり、まるで商売人、
17世紀のオランダの風俗が、生き生きと描かれて、富める者も貧しい者も、
ごった返しの様相、ちょっとしたチャンスで、大金持ちになれる時代だったの?
というか、いまの時代と、あまり変わらないかもですね、投機に群がる人たち。
フェルメールの絵の世界を描きたい、と創られた作品らしく、絵画的な色彩、
特に、やはりブルーの輝きがまぶしく、当時のファッションも堪能できて。
いろいろの行き違いや、策略やら、失態やらの果てに、それぞれの立場の人たち、
悲しかったり悔しかったり憤ったりはあったけれど、みな、幸福のほのかな光を、
見つけられたような、物語の結びに、ほっと暖かく微笑ましい気持ちに。
失意のどん底から這い上がるにしても、博打で幸せはつかめないんですね。
シネプラザサントムーンにて1月
by habits-beignets | 2019-01-15 14:58 | シネマのこと | Comments(0)