映画 ビリーブ 未来への大逆転
2019年 05月 15日
日本はまだまだ、女性の社会的地位は低い、なんて、問題になったりしますけど、
そういった声を、堂々と、発信できることだけでも、大進歩だったということが。
アメリカの、1950年代とか60年代とか、さらっと眺めているかんじでは、
それほどひどく、女性が差別されているようには、見受けられないんですけど、
でも、確かに、細かく注意してみると、ハーバードでは、女学生は数えるほど、
表面上は、ちやほや、丁寧に対応されても、なんとなく見下されている空気感が。
尊重されているように装われても、根深い女性軽視の現実に、ふつふつモヤモヤ、
おなじ法学生の夫と、幼い娘を持つ女学生、ルース・ギンズバーグは、、学生、妻、
母親の三足のわらじ、日々いそがしさに追われつつ、理解ある夫に愚痴りながらも、
自らの信念のまま、勉学にいそしんでいたけれど、とつじょ、夫が大病に襲われて。
夫婦力あわせての懸命の闘病の甲斐あって、無事回復、子供も二人に、元気に育ち、
夫は晴れて弁護士に、それなり順風満帆なのだけれど、ルースの就職ばかりは座礁、
ハーバードもコロンビアも、どちらも優秀な成績であったのに、女性というだけで、
念願の弁護士への道は閉ざされ、大学で職は得たものの、差別への疑問はますます。
差別はいけない、と一応の共通認識は、あるようなんです、1970年代の社会、
黒人への差別も禁じられ、それでも、性別からの扱いの差は、合理性があるとでも、
言いたげで、女性は根っから主婦であったり母であったりするもの、との固定観念、
対して男は、社会で働くべきで、家事をこなすなど、まるで想定されていない世界。
多様性、個人的事情などが、考慮されにくい、思考停止状態の、窮屈な世の中では、
圧倒的多数から、こぼれ落ちた存在は、無邪気なまでに無視されて、拾われず、
今こそ大声を、長時間かけてでも、世の中にひろく、届くように、あげなければ、
たぶんその、使命感に突き動かされての、人生賭けてのたいせつな勝負に、挑んで。
現役の最高裁判事、ルース・ベイダー・ギンズバーグの、若かりし日の挑戦は、
いまは当然とされている、法の下の平等を、現実に勝ち取るためには、いかに、
大多数の圧力にも屈しない、確かな信念と粘り強さが必要だったかということが、
よく伝わって、過去の事例ばかり持ち出さず、未来を見据えることの大切さが。
ほぼ、負け戦にみえた、裁判所での口頭弁論の後半、情熱に従っての大演説は、
身をもって差別に苦しんだ者だからこその、説得力で、遅々としてであっても、
諦めず、未来を担う者たちへの、愛情こそが、世の中を豊かにすると、訴えて。
ラスト、実在のルース本人の姿が、登場してくれるのですが、かっこよいですね。
具体的に、現実的に、差別をなくすことって、細心の注意と忍耐執念が必要そう。
ジェンダー、て言葉、なるほど、ソフトで受け入れやすいから、必要だったんですね。
どんなに劣勢でも、理不尽だと感じたら、戦う覚悟があれば、道は拓けるって励まされ。
シネプラザサントムーンにて5月
by habits-beignets | 2019-05-15 19:37 | シネマのこと | Comments(0)