映画 ある画家の数奇な運命
2020年 11月 12日
つかみどころのない邦題、3時間超の上映時間、ちょっと尻込みしてしまいますが、安心してください、大傑作ですから、と叫びたくなりました。
物語の舞台は、第二次大戦直前から、東西冷戦下までのドイツ。
始まりは、ちいさな男の子が、若い叔母さんに連れられて、美術館を見学するところから。
そして、彼がみまわれる悲劇や苦悩が、激動の時代とそのまま重なって。
ナチス政権下の、果てしなく凄惨だった戦争が終わって、表面上は平和のようでも、生き延びた人々には、それぞれが戦って負傷した心の傷跡が、たぶんまだ癒えないまま。
戦時中、慕っていた叔母さんがたどった運命を、彼がどこまで知っていたかわからないのだけれど、きっと察知しているような気配がたしかに。
じつは、その悲劇に関わった人物が、愛する妻の身内、そんな現実にも気づいていないはずなのだけれど、誰かに怒りや悲しみをぶつけることなく、厳しい現実をそのまま受け止め、真実を求める彼の姿勢が、むしろ何よりの復讐のような。
東ドイツであっても経済的には恵まれた境遇なのに、なぜか西ドイツに移住する妻の両親が抱えた事情。
虚栄心を捨てられない、妻の父親こそが、彼を受け入れた東ドイツが否定する「ich(我が)」なのでは、という皮肉も感じられて。
共産主義社会では、芸術も効用を求められるのですね、もはやスローガンとして。
画家の青年も、表現の自由を求めずにはいられず、妻をともなって西ドイツへ。
その葛藤が、とてもリアル、出てゆく者がいれば、残される者も。
残された側の立場、やるせなさ、悲しさ切なさも丁寧に描かれて。
「ich(我が)」とは、何でしょうね。
芸術とは何でしょう。
西ドイツに渡った彼は、晴れて自由に表現することができるようになったのに、本当に描くべきものが何なのか、かえって難しい課題に直面してしまうことに。
美術学校の教授の言葉が心に響きます「私に見せようと思うな。自分でわかるはずだ。」
大勢に評価されようと世間の流行に乗ろうとすると、無意識のうちに自分を表現することから逸れていってしまう。
自分が抱えている、描きたい本質を、見つけて解き放つこと、それこそが自分にしか成し遂げられない芸術にちがいないのに。
「真実は美しい」、幼い頃に叔母さんが語っていた言葉がよみがえって。
現実のむごさとの折り合いを見つけられず、彼女が落ちてしまった悲劇と対峙することこそが、彼に課せられた使命であり、そこで生まれる表現こそが、彼そのもののはず。
ようやくそれを見つけて生まれた作品は、まっすぐ真実を、観た者たちの心に無言で訴えかけ、激しい圧力さえ。
感じることで得られる、言葉にできない理解の大切さ。
芸術は、社会に必要不可欠なものですよねきっと。
わかりやすい効用などなくても、人々の心の良心や探究心に真実が訴えかける、たぶんそんな強い力が。
実在の画家がモデルになっているそうですが、虚実ないまぜ、何が事実かは秘密という話らしいです。
「善き人のためのソナタ」の監督作品、「善き~」も素晴らしかった、ことにラストが。
シネプラザサントムーンにて11月
by habits-beignets | 2020-11-12 02:16 | シネマのこと | Comments(0)