映画 声優夫婦の甘くない生活
2021年 03月 05日
時は1990年、場所はイスラエル、いったいそこには、どんな世界が。
事件だったり世相だったりが、いちいち興味深くて、目が釘付けになりました。
東西冷戦時代が終わりを告げ、ソ連から、多くのユダヤ人がイスラエルへ移住したとのこと。
そのなかに、老年の声優夫婦が、不安げであったり、決死の覚悟っぽかったり。
共産主義のソ連でも、それほど豊かな暮らしではなかったはずなのに、新天地のイスラエルでは、仕事を見つけるのもままならず、言葉だってよくわからず、の心許なさが。
よほどの事情とはいえ、慣れ親しんだ国を捨ててきてしまった二人、こんなはずでは、とけっこうな失望が、胸をよぎったのでは。
作り笑いの祝杯のあと、呆然としながら、壁にぶつかりながら、それでも力を合わせて穏やかな日常を手に入れようと、あちこち当たってはみたものの。
これまでの長いキャリアを生かしたくても、時代は変わっているし文化も違うし、できる仕事は限られていて。
何とか見つけることができたようでも、奥さんのお仕事の、突飛なことといったら。
ちょっとエッチな声のお仕事、最初は尻込みしたけれど、生活のためと飛び込んで、そしたらいつしか、ささくれだった自分の気持ちが、かえって慰められるように。
いかがわしい仕事のようでも、懐かしいロシア語の会話が、互いの心の痛みを和らげるような、そんな温かさが徐々に。
一方の旦那さん、たまたま見つけたお仕事は、ちょっと怪しげなレンタルビデオ店。
吹き替えの経験を生かそうと、奥さんも誘うのだけれど、どうやら違法の気配が。
とはいえ、こちらも背に腹はかえられぬ、それに、輝かしい栄光を捨てきれない声の自尊心であったり。
どんな形でも、映画のためなら、という愛情が、もしや分別をなくすほどであったのかも。
夫婦それぞれ、別々に過ごす時間のなかで、微妙に違う価値観や願望が、少しずつ露わに広がって、やがて爆発ぶつかって、というのは結婚生活が長い夫婦にありがちなことではあるのですが。
環境が変わって不安で寂しいのにどうして、という苛立ちが、抑えきれなくなるのでしょうね。
けれど、うんざりして腹が立っても、互いの慣れ親しんだ声からは離れられないような強い絆が。
それは、ともに歩いてきた長い年月のためだけではなく、同じものに情熱を傾けられる同志のつながりが、何があっても消えないからかも、というのが、ラストで二人が並んだ場面で。
あちこちユーモア散りばめられた楽しい作品は、過去の映画に対する愛情もたっぷり。
不織布マスクどころではない、ガスマスク携帯必須の世界でも、映画やデートを楽しむ人々の逞しさと健気さ。
どんな世の中だって、夢中で愛することができるもの、それを共有できる誰かががいれば、未来はそれほど暗くはないかも。
シネプラザサントムーンにて2月
by habits-beignets | 2021-03-05 11:12 | シネマのこと | Comments(0)