映画 MINAMATA―ミナマタ―
2021年 10月 16日
水俣病をテーマにした映画を、ジョニデがプロデュース、自ら主演ということで、どうしたって気になるわけですけれど、彼が演じるのは、水俣病に平穏な生活を奪われた市民たちの、厳しい現状を世界に発信したカメラマン、ユージン・スミス。


1971年なんですね、水俣病問題が表面化したのって。
その時すでに有名なカメラマンだったユージンの脳裏には、日本といえば凄惨な沖縄戦がよみがえり、地獄の様相を極めた現場を世界に伝える信念に迷いはなくても、その代償としてささやかな幸福を失ってしまったことに、苦しめられている現実があって。

ふとしたきっかけで水俣病のことを知って、思いがけず使命感に駆られ、あるいは、失いつつある名声と高額の報酬を求め、日本に飛んだわけですけれど、そこで直面したのは、病気で人生を奪われて苦しんでいる人たちだけではなく、苦しんでいるのに声をあげるのをためらい、やり切れなさを抱える人たち。

水質汚染の被害者は皆、同じ苦しみを共有しているはずなのに、一枚岩になるのが難しいのは、それぞれの暮らしの事情に微妙な違いがあるから。
加害者対被害者、という単純な構造のお話ではないんですね現実は。
高度成長時代、経済力ばかりが注視され、まだ公害の概念さえたぶん確立されていない時代、ささやかな暮らしを守ろうとする人たちの声が軽んじられていた気配もあって。

たしかに水銀を流した工場だって、悪意があったわけではないでしょうし、世の中の役に立つものを生産しているからこそ存在が許されて。

けれど、ここまで譲歩するから黙って従え、みたいな態度には、責任の重大さを理解していない驕りがむろんあからさまで、被害住民たちの怒りは当然燃え盛り、力ずくの衝突が激しくなるばかり。
その現状をつぶさにフィルムに収めるユージンも、いつしか命がけの境地に。
支えてくれ歓迎してくれる人たちと、妨害し痛めつける人たちの狭間で。

「写真は撮る者の魂を奪う」
ユージンが、妻となるアイリーンに語った台詞には、目の前で繰り広げられている現実を、自分の目で切り取って、広く世に伝える覚悟が。
おそるおそる、被写体となる人たちの許可を得てシャッターを切ってゆくうちに、打ち解け、写真に収まる水俣の人たちの心持ちが、映像に込められ。
共に闘う気骨の影には、ただ穏やかな暮らしを愛おしむ彼らに寄り添う気持ちが。

もしかしたら、見たくなかった現実をついに見てしまったことで、人間的な胸の痛みを感じたから、なのかもしれなさそうな。

ただただ、言葉や力で訴えるだけでは伝わらない、痛みを、共感してもらえる手段として、命がけの写真は最強なのかもしれません。

とはいえジョニデのユージンは、情けなくだらしない感じで水俣ウロウロするんですが、カメラを渡され写真とりまくる男の子のエピソードが、とても微笑ましくて、純粋な情熱とか喜びって、無言で明るい希望を与えてくれる救いなのでは、のリアリティ、きっとそう。

シネプラザサントムーンにて10月
by habits-beignets | 2021-10-16 11:03 | シネマのこと | Comments(0)