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映画 ミセス・ハリス、パリへ行く

第二次大戦後まもなくのロンドンで、家政婦を生業につましく暮らすおばさんが、たまたま、働き先のお屋敷で、まばゆいばかりのドレスを目にしたばかりに、思いもかけない冒険へ。



まるで宝石のように輝いて見えるドレスは、クリスチャン・ディオールのオートクチュール、お値段500ポンド、とおよそ250万~400万円相当とのこと。

ここで、普通だったら諦めませんか? そもそもそれ、庶民の生活に必要ですか? 自分のものにしようなんて、どうして思いますか?

でも、ハリスおばさんは、絶対に、買う、と心に決める、あらゆる手段に思いを馳せて、オーバーワークもリスクいっぱいのギャンブルだって厭わない。



どうしてそこまで、の当初の疑問は、もはや彼女の行動力で論破されてしまう勢い、そして、やがて、次第に納得できるような流れに。

ともかく、ようやく、努力が実ったり運が味方についたりで、念願のパリへとまっしぐら、いろいろな人と出会って、ついに憧れのディオールのドレスに近づくことに成功して。



果たして、ロンドンからやってきた家政婦が、ディオールほどの高級なお店に受け入れられるのか、不思議ではあったのですが。

けれど、その華麗な世界の裏側を目の当たりにすると、どんなに華やかで輝かしい舞台でも、その一歩奥では、美しい夢物語を破綻なく、あらゆる努力を惜しまずつむぎ続けようと、絶えず指先を動かす、あるいは、姿勢をととのえる、たくさんの人たちの存在にハッとして。

ドレスを身にまとう人たちの向こう側にいるのは、それを着ることのない名もない多くの労働者、けっしてハリスおばさんと遠くない人たち。



高級ドレスを買うためにようやく貯めた現金を、鞄に詰めてやってきた彼女の情熱的な姿が、その場の空気に化学反応を起こし、いろいろな人のいろいろな思いがドラマチックに動き出して、これは、単に、贅沢なドレスのお話ではないのでは、の展開に。

華やかなドレスを着てゆく機会があるとは思えないのに、はるばる、全財産はたいて買いにやって来る人がいるなんて、ドレスっていったい何なんだろう、名のある金持ちが見栄を張るための道具ではないのだろうか…

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美しいドレスを、誠実に丹精込めてこしらえる人たちでさえ、それはビジネスのための商品と割り切ることに慣らされてしまって、でも、たぶん、どこかに、物足りなさと抵抗が。

しかも、戦後の経済が不安定な時代では没落してゆく貴族も続々、代わりに労働者が台頭の街の空気が。

ドレスを金持ちに独占させてしまっていては、誰もが幸せになれないのでは?

虚栄心を満たすための一点ものに、本当に価値があるのだろうか?


その美しさを愛する気持ち、自分を大切に思う気持ち、それだけで、人は幸せになれたりしないのだろうか?


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ビジネスとして成立する必要から、実は難しい局面に立っていた一流高級品店が、突然やってきたありえない客から、刺激を受けてのパラダイムシフトの物語の気配も。

ファッションの存在意義って果たして何だろう。

途中、哲学書の話題に触れられているように、実はそんな少し哲学的なテーマが一貫して描かれていたような印象も。

ドレスと、着る人の存在意義との関係性は?


終盤、ハリスおばさんと美しいドレスの蜜月は、ちょっと波乱に見舞われてしまうのですが、より絆は、強くなったのかも知れません。


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それにしても、ハリスおばさんと関わる人たちの背景が、それぞれ皆、生き生きと想像できて。

都会で何不自由なく思いのままに生活しているように見えても、戦中戦後の混乱期を経て、苦悩や葛藤を抱えながら必死で自分の人生を歩もうとしている彼らには、自分の目的にまっすぐなハリスおばさんが、きっと眩しかったりしたんでしょうね。



イザベル・ユペールのメイクばっちり溌剌キャリアウーマンはちょっと新鮮、で、彼女ならではの見所もきちんと、さすが。


ともかく、たくさんのドレスとともに、それに負けない美しさと静謐さをたたえた工房を見られるだけでも楽しくて。


シネプラザサントムーン にて11月


ミセス・ハリス パリへ行く 公式サイト


# by habits-beignets | 2022-11-27 10:35 | シネマのこと | Comments(0)

『マッピー』用ボーダー

映画 デリシュ!

レストラン、癒しの場所ですよね、ゆっくり料理を目で舌で雰囲気で堪能できて、胃袋も心も満たされる貴重な時間、これは特異な文化であるのかも。

その文化の始まり、の物語。

フランスで、世界初のレストラン、が生まれたドラマ。


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時は1979年、フランス革命直前、貴族の地位が微妙に揺らいでいる背景が、そこはかとなく漂っていますが、あくまで料理を楽しむのは貴族の特権、というか社交の道具としても価値があったよう、だから、料理人の腕前は、雇い主にはとても大事で、かの主人に認められることが料理人にとっても、この上ない名誉であったり。


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宮廷料理人のマンスロンも、主人から高い評価を得られることを最大の励みに、誇り高く料理の腕前を奮っていたわけだけれど、つい、自分の創作意欲を抑えきれずに言いつけに背いてしまった結果、散々な目に。

とっても美味しそうだったんですけどね、調理の過程がスクリーンいっぱい丁寧に映し出されて、こちらが喜んで食べてあげる、と思ってしまったぐらいなんですけど。


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けれど主人の怒りを買ってしまったマンスロン、自分は悪くないと思いつつも主人に喜んでもらえなかった傷心のまま、息子とともに田舎の実家に戻り、旅人の休息場、旅籠屋を営むけれど、料理は二度とするまいと誓って。

そこへ、どこかで彼の評判を知って、弟子にしてくれと女性がひとりで尋ねてきて。

強く拒み続けるマンスロンだったのだけれど。


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この女性が何者なのか、マンスロンも気になって仔細に観察し続けて、彼女の出自を探り当てるのだけれど、どうも、見ているうち、マンスロンの何枚もうわてのような、ものすごい執着と忍耐、さりげなく感じられる知性、そしてちょっと謎めいた行動。

むしろマンスロンよりもこの女性の背景の方が、けっこう気になってくるのに従って、ようやく彼女は料理を教えてもらい、有能な給仕に。


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いっぽう、旅籠屋に立ち寄る人々から伝えられるパリの様子に、マンスロンの息子は心踊らせ、父親が未だに貴族の料理人としての地位に未練を残しているのを、事あるごとに批判するのだけれど。

そこへ突然、マンスロンが再び元の主人に雇い直されるチャンスが訪れそうだという希望がふいに持ち上がり、それぞれの希望や思惑や不安が交錯しての大騒動、そして、静寂が。


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その時は悲劇のようでも、それがきっかけで、知らずに繋がれていた鎖から解き放たれ、初めて、本来の希望が見出される、ってあるのかも知れませんね。

各自が抱えていた固執や絶望が白日のもとにさらされることで、新たな未来の姿に向かう道に気づくことになったり。

マンスロンも、息子も、謎の女性も、気づきさえすれば簡単に手に入れることができる、幸福な世界を見つけることができたり。

ふっと頭を切り替える、大切さ。


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やがて、庶民的身なりの人々が連れ立ってやってきて、丁寧に作られた料理をゆったり楽しんでいるのを眺めていると、こちらも涙が出てくるほどうれしく微笑ましく、美しく整った形で、心を込めてもてなされることの心地よさって、生きている喜びを堪能できる大切な時間ですよね。


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世界初のレストランがどうやってできたのか、に興味を覚えて鑑賞したところもあったのですが、ドラマを見届けてみると、それよりも、自分の意思を大切に、社会に挑むことの大切さが、様々な視点から描かれているような。

フランス革命での価値観の転換と、大衆に開かれたレストランの誕生は、たしかに、必然的にリンクしているものなのかもしれませんね。


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それにしても、映像の美しさが際立って。

料理も、調度品も、窓から差し込む室内の様子も、すべての場面に渡って一幅の名画のよう、まさに静物画のようなワンショットがあったり、陰影、色彩がもう。


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途中、元祖フライドポテトみたいなのがお遊びっぽく出てきますが、美味しいのにねそれもうフランス人てば。


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シネプラザサントムーンにて9月


デリシュ! 公式サイト


# by habits-beignets | 2022-09-11 18:13 | シネマのこと | Comments(0)

『マッピー』用ボーダー

映画 テーラー 人生の仕立て屋

ギリシャのおしゃれってどんな感じなんでしょう。

かなり洗練されていたようなんですけれど、さすが由緒正しい歴史ある国。

けれど、経済破綻危機のニュースなどありましたものね。

ファッションにはお金がかかったりしますし。


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舞台はアテネ、高級スーツの仕立て屋さん、父親の代から受け継いだ店主の出で立ちがもう、まさに、いかにもキチッとパリッと身なりを整え、店内も整え、いつでもお客さんをスマートに出迎えられる準備万端なのに、ガラス越しの、行き交う人々の歩みのスピードはゆるむことなく。

誰も、入ってきません。

そして一日が終わってしまいます。


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たぶんもう、そんな毎日の繰り返し、慣れているのでしょう、小さな灯りでひとりの夕食も、どこか諦めの雰囲気で。

でも、ささやかな慰さめと交流はあって。

夜のしじまを漕ぐような、隣家の女の子との静かな言葉のやり取りが、仕立て屋さんのニコスに微笑みを。

微笑みは、勇気のもと、であるような、これからの日々を戦いぬくための。


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このままではマズイ、どんなに立派な構えでも、誰も入ってこないお店では潰れてしまう、とわかっていても、昔気質のご隠居お父さんは、焦ったところで打開策を思いつけるわけもなく、ニコスはひとり思案の毎日、常に何かできることを考えあぐね、ともかく、お店で待つだけでは埒があかない、何かしなければ、の意識がゴロゴロ回る車輪に吸い寄せられ、外へ出なければ、街へ出なければ、人と合わなければ、何も始まらない。

で、紳士服の仕立て屋さんが、手作り屋台でデビュー、危機感と情熱ってすごいですね。


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でもやはり、あまりの変わり種に、邪魔にされたり、奇異な目で見られたり、だったんですけれど、次第に、温かな視線やちょっとしたヒントをもらえるようになったり、さすがにスーツの注文は難しいけれど、おしゃれ好きの女性は興味を持ってくれたり、そして、運命が動き出す瞬間が。


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ウェディングドレスは作れる?

いやまさか、けれど、背に腹は変えられない、どうにかしようと引き受けてしまって。


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幸運だったのは、隣家の女の子のお母さんが、裁縫の腕前がプロ並みで、そして親切で、ニコスのドレス作りを我が事のように熱心に取り組んでくれたこと。

なんだか、彼女にとってもうれしいチャンスのよう、自分の技術やセンスが認められる喜び、誰かの助けになり、求められる喜び、それは、日常の家事ではあまり評価されない個性が、生き生きと溢れだす、輝かしい瞬間のようでもあって。

やがて、ニコスと彼女が、ドレスを仕上げる充実感が、二人を希望で満たしてゆくように。


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そういえば、ウェディングドレスって、身につける女性はもちろんだけれど、関わる人々すべての気持ちを高揚させる力がありそう。

華やかで、幸福感に満ちて、晴れやかな人生の扉が、自分にも開かれる気配が漂って。


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だから、レースやシフォンの感触に誘われるまま、夢心地の表情の時間が訪れてくれるのだけれど、すべてが思うようになるわけではない現実の時間も、確かに存在していて。

ドレスの注文で大忙しでも、紳士服の仕立て屋のお店が成功したといえるのか。


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年老いたお父さんの、仕立てにかける情熱、仕立て屋としての誇りが、今となってはゴミでしかない、古い店にぶら下がる過去の要人たちの型紙に象徴されて。

でも、女性のドレス作りを、軽蔑気味に捉えていたお父さんの、意識がやわらかく変化するとき、どんな形でも、どんな場所でも、お店の誇りと技術はずっと続いてゆく未来も見えて。



装いって、身にまとうって、世界に立ち向かう自分を勇気づける、大切なことですものね。

丁寧な仕事と、思いやりは、どこでも誰かに必要とされる、きっととても価値のあるもの。


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シネプラザサントムーンにて2021年11月


テーラー 人生の仕立て屋 公式サイト


# by habits-beignets | 2021-11-17 16:58 | シネマのこと | Comments(0)

『マッピー』用ボーダー

映画 MINAMATA―ミナマタ―

水俣病をテーマにした映画を、ジョニデがプロデュース、自ら主演ということで、どうしたって気になるわけですけれど、彼が演じるのは、水俣病に平穏な生活を奪われた市民たちの、厳しい現状を世界に発信したカメラマン、ユージン・スミス。



ユージン・スミスの功績は、テレビのドキュメンタリーなどでいくらか知っていたりはするのですけれど、この映画は、彼独自の視点から水俣病問題を浮き彫りにする、という流れのため、彼がもっぱら個人的に抱えている問題や思いとリンクさせながら、と、純粋なドキュメンタリーとはやや距離を置いた描き方で、かなりわかりやすく寄り添いやすく。


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1971年なんですね、水俣病問題が表面化したのって。

その時すでに有名なカメラマンだったユージンの脳裏には、日本といえば凄惨な沖縄戦がよみがえり、地獄の様相を極めた現場を世界に伝える信念に迷いはなくても、その代償としてささやかな幸福を失ってしまったことに、苦しめられている現実があって。


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ふとしたきっかけで水俣病のことを知って、思いがけず使命感に駆られ、あるいは、失いつつある名声と高額の報酬を求め、日本に飛んだわけですけれど、そこで直面したのは、病気で人生を奪われて苦しんでいる人たちだけではなく、苦しんでいるのに声をあげるのをためらい、やり切れなさを抱える人たち。


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水質汚染の被害者は皆、同じ苦しみを共有しているはずなのに、一枚岩になるのが難しいのは、それぞれの暮らしの事情に微妙な違いがあるから。

加害者対被害者、という単純な構造のお話ではないんですね現実は。

高度成長時代、経済力ばかりが注視され、まだ公害の概念さえたぶん確立されていない時代、ささやかな暮らしを守ろうとする人たちの声が軽んじられていた気配もあって。


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たしかに水銀を流した工場だって、悪意があったわけではないでしょうし、世の中の役に立つものを生産しているからこそ存在が許されて。


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けれど、ここまで譲歩するから黙って従え、みたいな態度には、責任の重大さを理解していない驕りがむろんあからさまで、被害住民たちの怒りは当然燃え盛り、力ずくの衝突が激しくなるばかり。

その現状をつぶさにフィルムに収めるユージンも、いつしか命がけの境地に。

支えてくれ歓迎してくれる人たちと、妨害し痛めつける人たちの狭間で。


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「写真は撮る者の魂を奪う」

ユージンが、妻となるアイリーンに語った台詞には、目の前で繰り広げられている現実を、自分の目で切り取って、広く世に伝える覚悟が。

おそるおそる、被写体となる人たちの許可を得てシャッターを切ってゆくうちに、打ち解け、写真に収まる水俣の人たちの心持ちが、映像に込められ。

共に闘う気骨の影には、ただ穏やかな暮らしを愛おしむ彼らに寄り添う気持ちが。



争いが激化するばかりで解決の糸口も見つからなそうでもあったのに、加害者側の工場を追い詰めたのは、世界の目、であったのだろうけれど、では仕方ない、とただ観念したからなのか、あるいは、生々しい写真を通しての世界からの視線を、自らも体感することで、ようやく客観視することができたからなのか。

もしかしたら、見たくなかった現実をついに見てしまったことで、人間的な胸の痛みを感じたから、なのかもしれなさそうな。


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ただただ、言葉や力で訴えるだけでは伝わらない、痛みを、共感してもらえる手段として、命がけの写真は最強なのかもしれません。


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とはいえジョニデのユージンは、情けなくだらしない感じで水俣ウロウロするんですが、カメラを渡され写真とりまくる男の子のエピソードが、とても微笑ましくて、純粋な情熱とか喜びって、無言で明るい希望を与えてくれる救いなのでは、のリアリティ、きっとそう。


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シネプラザサントムーンにて10月


MINAMATA―ミナマタ― 公式サイト


# by habits-beignets | 2021-10-16 11:03 | シネマのこと | Comments(0)

『マッピー』用ボーダー

映画 ノマドランド

ホームレスじゃない。ホームレスではなくて、ハウスレスよ。

主人公の初老の女性、ファーンが、以前の教え子に答えた言葉です。


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今は住む家を失い、車であちこち移動しながらの暮らしぶりになってしまったので。

けれど、もとは貧困というわけでは決してなく、ごく普通に教育を受けて、仕事に就いて、愛する人と結婚して、つましいながらも特に不自由なく、社宅暮らしを楽しんでいたんです。



それが、例のリーマンショックのあおりを受けて、街ごと消えてしまうような形で失業、夫も死亡、生活の場を失っての放浪の生活に。



とはいえ、本人とても逞しく、悲劇のヒロインぽくは見えないのですけれど。

使い古したキャンピングカーに、必要最低限の生活道具を積んで、繁茂期の仕事を探しては渡り歩き、同じような境遇の人たちと交流があったり、やや不便で窮屈そうに見えなくはないけれど、自分の力で生き抜いてゆく、潔さが感じられて。



他人からはオンボロで、買い換えるべきだと見える車も、少しでも暮らしやすいようにと様々な工夫、細工が施され、あるいは、大切な思い出の品々が積み込まれていたり、そこには確かな愛情が、生前の夫の気配や、少女期のあたたかな夢の跡形が。

だから、家とは見えなくても、それは確かにホームに違いなく。



行く先々で、ご近所づきあいぽく親交を温める人々も、他人に頼らず自分の力で生き抜いてゆく誇りを大切にしている姿勢が、静ひつに、あるいは猛然と。

そこに、若者はほとんど見当たらず、みな、老いを抱え、病や死を意識せずにはいられない境遇のようなのに、厳しい人生に悲しみを覚えながらも、自由な人生を大切に。


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インターネットの世の中だから、の豊かなつながりがあったりも。

今度いつ会えるかわからないような別れでも、遥かな場所での素晴らしい景色が送られてきたり、普通の「家」での生活に誘われたり。

ギリギリの生活でも、前向きに暮らしていれば、選択の機会は、いつでも訪れて。



日々、自分には何が必要か、何が相応しいのか、大切な守りたいものは何なのか。

絶えず自問自答しながら、生きる場所を探すのは、もしやとても充実した人生なのでは。

喪失の悲しみから逃れられなくても、まっすぐそれを受け入れる心持ちは、尊くて。

それでも、金銭を賄わなければならない不自由さに、縛られてしまうのが残念だけれど。



放浪も、まるで長い旅行、むしろ神様から与えられた生命を、全うさせているような暮らしにも見えるけれど、人間社会との折り合いには、歪な印象もあって。

個々にとっての豊かな暮らしって、何だろう、考えさられてしまったり。

ところで、放浪先の、あちこちの名勝が見られて、圧倒されました。


シネプラザサントムーンにて3月


ノマドランド 公式サイト


# by habits-beignets | 2021-05-30 18:30 | シネマのこと | Comments(0)

『マッピー』用ボーダー