2011年 03月 25日
ああ、お会いしたかったですよ、コリン・ファースさま。
物語のはじまりは、まだ王子のころの、聴衆にむかってのスピーチ。
彼に対する周囲の様子から、その身分の高さは、よくわかるのだけれど、
緊張しきった必死の形相は、学芸会の舞台裏でびくびくしている男の子。
そうして、のぞんだ演説に、悲しそうに目を伏せる聴衆の表情。
できないということがわかっていて、それをやらなければいけなくて、
そしてやっぱりできなくて、自分にがっかりすることの繰り返し。
泥沼にはまっているやりきれなさが、切々と、こちらに伝わってきます。
努力しているはずなのに、できないことの絶望感。
彼を悩まされているのは吃音なのだけれど、その実体というか本質は、
「喋り」そのものではなく、心に深く根をおろしてしまった何か、では?
彼を支えることになるセラピストの、奔放な言動が気づかせてくれます。
自由になんでも話せる環境と、そうでない環境が、精神にもたらす大きな違い。
孤独のなかに引きこもってしまった心を、外にひらかせるには、何が必要か。
弱い部分をそのまま受け入れて、励ます寛容さ。
衝突を怖れないで、遠慮なく思ったとおりを伝える、誠実さ。
王妃とセラピストが、それぞれのやり方で、孤独の闇から王を解き放す過程が、
心地よいハーモニーを奏でながら、描かれていきます。
王の吃音は、誰かに救いの手を求めている、メッセージだったのかも。
穏やかに進んでゆく物語なのですが、感情をゆさぶる場面がいくつも。
王が、録音された自分の朗読を聞く場面。
王位についたときの、娘たちとのやりとり。
王がプラモデルをいじりながら、セラピストと交わす会話。
喧嘩わかれをしたあとで、王が自らセラピストを訪ねる場面。
そして、いよいよ、大きな責任を負ったスピーチにのぞむ
クライマックスの臨場感。
映像も、いかにもイギリスっぽい沈んだ色調で、きれいです。
カメラワークも、少し独特な感じがあって、楽しい。
台詞は、いちいち気がきいていて、ユーモアにあふれているし、
俳優陣も、みなさん、存在感があって、とても贅沢。
静かなドラマなのですが、見終わったあと、あたたかなものが心に残ります。
それにしても、英国紳士コリン・ファースさまの凛々しさ。
「真珠の耳飾りの少女」を、また観たくなりました。
このときの彼も、とっても素敵、抑制されたセクシーさで。
そういえば音楽も同じ、アレクサンドル・デプラ、美しい。
シネプラザサントムーンにて、3月
英国王のスピーチ 公式サイト
# by habits-beignets | 2011-03-25 20:50 | シネマのこと | Comments(0)