2017年 09月 20日
神々しいですよね、あらせられるお姿、ローマ法王、すべて超越した天上のひと、
の印象ですけれど、混乱きわまる南米で、苦悩に追われる青年であったなんて。
原題「フランシスコと呼んで」の、現ローマ教皇フランシスコが、神学を志す
ところから、映画は語ってくれるのですが、なんとなく不穏な気配は感じるものの、
これほどの暴力や殺戮が行われようとは、だって陽気で楽しそうに和気あいあいの
雰囲気は、まさにラテンアメリカ、音楽とサッカーで、熱くなったりはしても。
けれど、あれよあれよの間に、悪夢のような過酷な状況に、アルゼンチン、
軍事政権すさまじかったのですね、神が後ろ盾の教会でさえ、その圧力の前に、
なす術のない受難を余儀なくされて、生けるもの、誰をも平等に救いたくても、
それが危険と隣り合わせ、信仰をつらぬこうとすれば、奪われる思考や生命。
神父であっても、サッカー好きの純朴な一青年、親しい友人、同僚を気遣い、
彼らが苦しみ喘ぎ、あるいはなぜか、いなくなる、その恐怖と絶望に身を裂かれ、
なのに、何もできない無力感は、想像を絶する悲しみだったのでは。
守りたい人を、守れない、なにが正しいのか、わからないまま、信仰だけを。
どうにか生き延びて留学した先で、ひとりの信者として祈る姿は、無垢で、
よわよわしかったけれど、すがる気持ちで手に取った、絵の中の聖母の仕草に、
かすかな希望を見いだすことができたとき、信仰心がもたらす強い力を、
きっと確信できたような、この世のわけのわからない惨禍も、ほどけるときが。
帰国してからの、つましく貧しいひとびとと手をたずさえての、暮らしぶりは、
迷いなく、毅然とみえて、難しい説教より、聖母マリアに寄り添うことで、
困難に立ち向かうよう導く姿は、やさしくて、堂々たる風格。
軍政はおわっても、富める者と貧しい者の対立で。街は更なる混乱だけれど。
今度は利権政治との闘いでの、交渉の場で、あなたにだって上司がいるでしょ、
と責められての答えは、揺るぎない自信で裏打ちされ、やむない激しい抗争で、
彼がとった行動は、信仰心への強い信頼が感じられ、誰もが何かを信じて、
慕って、愛されたくて、その前では、兜を脱いで、祈りに身をささげる真実が。
法王とか、バチカンとか、厳粛で荘厳な世界というイメージだったのだけれど、
現実には、貧しかったり汚れてたりの社会とも、密接であったりするのですね、
救いとはなにか、平安とはなにか、と絶えず探ってきた物語が、集結する、
それが、現世での、神とつながる場所であったりするのかも、と思ったり。
音楽、よいですね、ピアソラを彷彿とさせる、アルゼンチンの空気感が。
シネプラザサントムーンにて9月
# by habits-beignets | 2017-09-20 00:58 | シネマのこと | Comments(0)